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2019年9月3日

育てていただいた地元埼玉・浦和への恩返し

私は、小学校入学と同時に東京都内から埼玉県に越してきました。

都内の小学校に、入学前の集まりに行ったときには、子供ながらに、何だか押しつぶされそうな雰囲気を感じておりましたが、埼玉の小学校に来ると、何とも伸び伸びとした気分になりました。
  
そこから小学校6年間は力いっぱい遊びました。塾に行けとも言わず、無制限に遊ばせてくれた両親にも、どんなにいたずらして遊びまわっていても温かく見守って下さったご近所の方々にも、感謝の気持ちでいっぱいです。

中学校時代はバレー部に入部し部活動に明け暮れ、高校は埼玉県立浦和高校に入学しました。

高校の近所のラーメン屋さんでは、配膳のおばさんの親指がおつゆに浸かる程の大盛にしていただき、チャーハンはラーメンどんぶりに一杯の大盛でした。

近所の商店でカップ麺を買えば、当たり前のようにお湯を入れて下さり、それを持ってヨタヨタと横断歩道を渡っていると、通り掛かりの車のドライバーの方はニコニコしながら通り過ぎるのを待っていて下さり、朝の登校時間には、通勤時間で急いでいるはずのバスの前を、何十人もの浦高生の行列が通り過ぎるのを、運転手さんはクラクションひとつ鳴らさずに待っていて下さったり、バレー部の遠征で埼玉各地に行っても、遠征した先々の電車の中で、大勢で騒がしく話していても、同乗している方々は、いつも笑顔で見守って下さいました。

私は当初、東京で弁護士をしていましたが、3年間を経て埼玉にやって来ると、浦和高校出身の先輩弁護士を初め、弁護士会事務局の方や、友人等、本当に皆様が優しく迎え入れて下さいました。

住まいも埼玉ですが、4歳の娘を初め、家族共々ご近所の方々、行く先々の方々に本当によくしていただき、支えていただきながら、日々を送っています。

埼玉は私にとって、私を育ててくれたかけがえのない土地です。

小学生の頃、ジュニアバレーの全国大会に出場したとき、左腕に縫い付けた「埼玉」の文字が何とも誇らしく、埼玉代表であることを意気に感じたものです。
 
私は初心に立ち返り、私の誇りであり、私を育ててくれた埼玉にご恩返しをするため、ここ浦和の地に事務所を設立することを決意しました。